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魅力ある着物!その歴史とは?

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着物は日本独自の民族衣装です。

「着物=和服」と表現されるように、着物は日本の衣服なのです。
四季折々と姿を変える自然のように、人々の衣服も季節ごとに変わります。
自然と共に生きてきた日本人が生み出した衣装「着物」には、季節を彩るデザインが施されてきました。

日本はアジア圏にある国の一つです。
同じアジア圏にある国「中国」は長い歴史を持つ隣国です。
そんな中国の影響を受けて誕生したのが、歴史上の人物、卑弥呼や聖徳太子が着ている衣装です。

平安時代になると、貴族や身分の高い人女性たちが着たのが十二単です。
一般庶民に関しては小袖に細い帯をしめるのが一般的でした。
そんな平安時代の小袖が着物の原型になったと言われています。
高貴な人々が着る着物と庶民が着る着物は素材や質が全く違いましたが、着物は着物です。
時代とともに生活様式や社会情勢の変化があるのは普通のことですが、それにより着物も徐々に変わっていったのです。
特に庶民が着ていた小袖は、生活様式の変化や社会の移り変わりとともにどんどん魅力的なものに変わってきました。

奈良時代の衣装には麻や籐、絁(あしぎぬ)や苧麻(ちょま)といった植物繊維が主流でした。
平安時代になると上級階級の人の着物は絹、それ以外の人の着物は麻や草木などの植物繊維で奈良時代と変わりはありませんでした。
木綿の着物が出回るようになったのは江戸時代のことです。
木綿もまた植物繊維なのですが、なぜ江戸時代になって木綿が主流となったのでしょうか。
それは室町時代に外国から伝来した木綿の種子が理由です。
木綿の種が伝来した室町時代には、木綿が育たなかったのです。
元々木綿の種子は熱帯・亜熱帯といった気候に適したものだったため、そのような気候ではなかった日本では中々育てることができませんでした。
しかし、次第に木綿栽培の技術を培っていき、江戸時代になると関西地方を中心に木綿の栽培が本格化していきました。
そのため、江戸時代の着物は木綿が多かったのでしょう。
もちろん、絹の着物もありました。
しかし「士農工商」という言葉が残されているように、身分により着物の素材も制限されました。
一般庶民が絹の着物を着用することは許されず、その代わりに木綿の着物が重宝されました。

江戸の戦国時代が終わりを告げると欧米文化が日本に伝来します。
それにより、裕福な家庭の人々は着物ではなく「洋服」を着るようになりました。
庶民の間では着物が当たり前でしたが、徐々に洋服を着た人々が目立つようになっていたようです。
明治時代には政府が先頭立ち、絹の製糸工場が建設されるようになりました。
工場にて絹糸が大量に生産できるようになると、絹糸が高価ではなくなったため、庶民の間でも絹の着物が着られるようになりました。

そんな中、日本にとって時代を変える大きな大事件が起こります。
それが第二次世界大戦です。
テレビや映画で見るように、男性は国民服、女性はモンペを着るようになったのです。
華やかな明治時代とは一変した暗い時代でした。
ようやく終戦となると、女性は普段着として再度着物を着るようになりました。
昭和40年代初め頃までは、女性の普段着と言えば着物が当たり前でした。
以前は庶民が着る着物は安いものであったはずなのに、この時代になると着物が高く、圧倒的に洋服が安いことから、次第に人々着物から洋服へとチェンジしていったのです。

そしてまた現在着物への注目が集まっています。
時代時代を表現してきた着物は、今では「ファッション」感覚で気軽に着ることのできるものとなっています。
洋服にはない色柄、着るだけで美しく魅せてくれるものであり、今でも日本を代表する衣装であることは間違いありません。
「時代は繰り返される」
そのような言葉があるように、着物も再び注目されています。